塩硝の作り方には三つの方法がありました。
1、古土法
床下などの、40~50年以上も経った「鼠土」を集めて抽出し、硝酸塩を取り出す方法。他藩ではほとんどがこの方法でしたが、生産量に限度があり、少量にならざるを得ません。
2、培養法
干し草と土と蚕糞を床下の穴へ交互に入れ塩硝土(※上写真中)を作り、発酵させて抽出し硝酸塩を取り出す方法。
3、硝石丘法
培養土を積み上げて硝石丘を作る。薩摩藩ではこの方法で生産しました。
[五箇山における生産方法]
五箇山だけが上記2、の培養法によって塩硝を生産したのですが、その生産方法を次に記します。
(1)合掌家屋の囲炉裏の周りの床下に深さ2m程の穴を掘り、麻畑の乾いた土・サク、よもぎ、麻などの干し草と蚕糞を交互に積み重ね、春と秋に切り返す。冬季においても硝化細菌の活動を保つため囲炉裏端が使われました。
(2)4~5年間発酵熟成した塩硝土を取り出し、桶に入れて水を注ぎ、硝酸カルシユウムを抽出して、その液を灰汁煮(あくに)釜へ入れて濃縮します。
(3)灰汁処理した溶液を静置して不要物を沈殿させ、上澄液を木綿布で濾過します。
(4)濾過液を集め、小煮釜で半分程度に煮詰め、煮詰めた液を濾過し桶に入れて一夜そのまま置くと、塩硝の結晶が得られ、これが灰汁煮で、上煮屋(じょうにや)に買い取って貰うのです。
(5)上煮屋は買い取った灰汁煮塩硝を何度も溶解して上煮塩硝(※上写真右)を作り、12貫入り栃製塩硝箱に詰めて土清水塩硝蔵へ出荷します。
この培養法の技術が農民たちの永年の試行錯誤により、風土に合った技術を会得し、上質な塩硝造りができるようになったたのです。私たちの先祖は何とすごい発明家だったのか、頭が下がります。
五箇山を塩硝生産の適地とした理由
1. 五箇山は剣山と渓谷に遮られ、他地域から隔離された地域で、塩硝の生産が秘密裡に進められる。
2. 五箇山から山系を縫い、土清水の塩硝蔵までのルートは、他地域から隔離されていて、塩硝の運搬は秘密裡にできる。
3. 寒冷・多雪・適湿の気候風土や、合掌作り等が塩硝の生産に適する。
4. 塩硝の原料(稗・蕎麦・麻・ヨモギ・サク・ムラタチ・蚕糞等)や生産材料(水・薪等)が豊富で、かつ労働力(特に宗教的まじめ気質)が、塩硝の生産に適合したといえるでしょう。