加賀藩の形成を考えるとき一向一揆の流れを把握しないで、知ることはできません。加賀藩は一向一揆を抑圧しながら、他方では一向一揆の原動力を藩の体制造りに役立たせる政策に成功したといえるでしょう。また、加賀藩の五箇山支配は、天正13年(1585)からといわれ、五箇山ではそれ以前から塩硝の生産が行われ、一向一揆側へ供給していました。とりわけ宗教的に五箇山は、住民間の結び付きの強い地域で、これらがどういう過程を経て加賀藩へ組み込まれていったのか、興味の深いところであります。