羽場家について

小瀬の羽馬誠一さん方で「袴腰山と三方山の間を通って臼中(昭和53年廃村)を経て小院瀬見―横谷へ出る道がある」と聞きました。航空写真や国土地理院の明治42年測量図を見ると、飛騨街道よりかなり近道であることが解ります。このルートは現在、歩けるかどうかわかりません。
羽馬家は、同家の過去帳によると、文明年間以来二十余代にわたって続いた家柄で、五箇山きっての旧家です。加賀藩時代は、塩硝役をつとめ、また五箇山における本陣の役も果たしたと伝えられています。 同家の合掌造りは江戸中期のものと推定され、五箇山合掌建築の代表にあげられています。 参考文献『加賀藩五箇山羽馬家塩硝史料について』(伊丹政太郎著)
羽馬家はまた、五箇山塩硝煮屋総代として加賀藩の十村役をしていた家柄で、古文書も多く残っていたのですが、現在は富山県内の公立の箇所で保存されているとのことです。五箇山には塩硝の史料は多く残っていますが、金沢には殆どないと言ってもよいくらいです。今後も現地調査や現地との交流を通じて少しでも解明していきたいものです。
羽馬誠一様から崎浦公民館は多くのことを教えていただきましたが、残念ながら数年前に他界されました。深く感謝申し上げます。