大桑町癸(き)〜涌波1丁目
明暦3年(1657)、当時石引の波着寺付近にあった、加賀藩の火薬調合所が火災にあい、翌万治元年(1658)にこの地に移転された。
粉砕用の水車は、辰巳用水を利用した。なお、この塩硝蔵は明治4年(1871)の廃藩置県まであった。
*土清水製薬所(土清水塩硝蔵)について
大桑町癸(き)〜涌波1丁目
明暦3年(1657)、当時石引の波着寺付近にあった、加賀藩の火薬調合所が火災にあい、翌万治元年(1658)にこの地に移転された。
粉砕用の水車は、辰巳用水を利用した。なお、この塩硝蔵は明治4年(1871)の廃藩置県まであった。
*土清水製薬所(土清水塩硝蔵)について