笠舞の地蔵

笠舞2丁目21-11

藩政期に刑死者の供養に建てられたとする説もあるが、天保8年(1838)6月までに天保の飢饉で、この地にあった「笠舞お救い小屋」に四千人余が収容されたとの記録があり、餓死や疫病死した人々の追善供養の為に安置されたともいわれている。