上野本町(うえのほんまち)(上野本町上町・下町)

私達の町は集落より発展したもので、この地域は下小立野と呼ばれた原野で、牛坂の上野とも呼ばれ牛馬の草刈場でした。
この地に定着した人々はもと山崎村の百姓で、山崎村が加賀藩進出後、農地が町になったため小立野の地に移住しました。
その後加賀藩三代前田利常の生母、寿福院が先祖の菩提寺越前府中経王寺を建立したため、農地を失い上野地域に移住したといわれます。寛永九年、辰巳御用水が開発され、その余水を用いて下小立野を開田開墾しました。上野村と称しましたが、延宝六年「上野新村」とあらためられました。
町方住民や武士が農地を相対で借請する相対請地が多くなり、貞享四年町方は金沢町奉行の支配下に入り上野町と称し、地子町の一つとなりました。
明治22年石川郡崎浦村上野新となり、昭和11年金沢市編入『上野本町』と称しました。
上野八幡神社は、文禄の頃は小立野白山町に、貞享四年小立野上野に、享保十六年、現在地に再度移転しました。
貞享六年創立の真宗大谷派の道場、聞敬坊があり、明治12年聞敬寺と寺号を称する。上野地域には多くの塚の地名が残っています。