涌 波(わくなみ)

私たちの住んでいる涌波は、寛永10年(1633)辰巳水道完成の翌年に、辰巳水道余水をもって、新開地開田の藩主の御触れにより、加賀郡涌波村より7人がこれに応じたと、
村立は明らかです。 昔は河北郡崎浦村字涌波新と言われていましたが、昭和45年区画整理により涌波になりました。現在世帯数約1100戸、人口2800人です。
金沢市山側外環状線として浅野川から犀川までトンネルを掘り、涌波台地への連絡道路として、全国初のメガネと二階建ての三ツ目トンネルが、平成18年度に供用開始された。
こうしてわが町に、周囲の景観とマッチした美的な現代の土木構造物の大芸術品が出現した。
万治元年(1658)より明治4年(1871)まで213年間続いた土清水塩硝蔵跡を、平成18年より発掘調査の結果、敷地6万5千㎡(兼六園より大きい)の加賀藩の軍事施設である
火薬製造所の存在が確認され、江戸時代における希有な藩立の軍事施設と判明し、金沢市では国史跡指定に向けて作業が進んでいます。