森丘上(もりおかかみ)

辰巳用水が寛永9年(1632年)に通水するまでは、小立野台地は水源が無く、上野村のこのあたりは薪材(ばき)採集場、牛馬の草刈場であったとのことです。
その後、幕末には野坂の上がり口から東西183m、南北210mの加賀藩上野弾薬所が、さらの東側傾斜地には弾薬試験場があったことが古文書絵図(玉川図書館蔵)等に遺されています。明治10年からこの一帯は陸軍省所轄地となり、日本陸軍の金沢第7連隊の演習場として使用され、「上野練兵場」とか「上野射撃場」と通称されていました。
、戦後は復員者等に払い下げられ、田畑として開墾耕作され、町名は「上野本町」に変わりました。昭和30年頃、現在の小立野1丁目29街区(現ウッドパーク団地)は市の所有地としてその他は昭和33年頃から住宅地として造成され、約100戸の町が誕生しました。
昭和37年5月12日には森丘上町会(当初「森丘町会」と呼称)が発足しました。そして昭和39年4月金沢市の住居表示条例により、森丘町は小立野1丁目と町名が変更され現在に至りました。町会名の「森丘上町会」は変更しておりません。平成19年3月には小立野1丁目29街区の金沢市所有地にあった金沢市健康保険センター跡地が「小立野ウッドパーク団地」の名称で金沢市地区計画決定を経て販売され、その団地の約40戸が入居しました。これで森丘上町会は旧住宅・新住宅併せ約140戸が所在することになり、新旧お互いに和気あいあい暮らしております。