大桑町(おおくわまち)

大桑町町会、旧大桑村の古い歴史を伝える大桑町集落と区画整理事業で新しく生まれた大桑1丁目から3丁目の住宅街が混在し、まちの中央を山側外環状線が横断する犀川の西部に広がるところです。
この地域は、地質学的には世界的に名高く化石も出土する『大桑層』の上に広がり、また犀川扇状地に育まれた土地、水など自然にも恵まれ、梨、りんご、ナスなど青果物の宝庫です。近年は、区画整理により大型商業施設を中核とした住宅街に姿を変えつつありますが、近郊農業は少数ではありますが若い世代に確実に受け継がれています。
大桑(おんまともいう)の歴史は古く、遠く古代平安期まで遡ります。
その頃、 この地に幹の枝が今の末町まで及ぶ桑の大樹があったとされ、 地名の由来はそこからとったと言われています。
この地は、 加賀国加賀郡八郷の一つ大桑郷で、 平安末期には大桑郷を名字として、 加賀斉藤氏の林系の庶流である大桑三郎利光が、 この地を領地とし居館を築いたとされています。
現在目につく遺跡はありませんが、当時を偲ばす地名は法師、 城山、 御所谷など随所にみられます。 また御坊山には江戸時代まで、 真宗大谷派の善福寺 (現在、 材木町)徳善寺 (現在菊川の永順寺) の二つの寺があったものの、 前田藩は管理下に置くため城下に移転したとされ、 町内には今も門徒の方がいます。 当時は犀川上流の材木、 薪炭の集散地として栄えたそうです。
明治22年に石川郡崎浦村字大桑郷、 昭和11年に金沢市に編入し現在に至っています。
ちなみに、平成10年に設立された大桑第3土地区画整理組合は、計画事業が順調に進捗し平成22年に解散となり、新しく大桑1丁目~3丁目の地番が誕生しました。